崖は誰の作でもない
「UXを良くしたい」という一言は、口ごとに違うものを指す。なぜこの語はこんなに滑るのか。ギブソンのアフォーダンス、ノーマンによる誤配と40年越しの訂正(シグニファイア)、デューイの経験論を手がかりに、デザイナーが握れるのは関係の片側だけであること、「体験を設計できる」という職能の驕りについて考える。
「UXを良くしたいです」。事業会社の会議室でも、受託時代のクライアントとの打ち合わせでも、この一言を何度も聞いてきた。言われるたびに、良くしたいのは具体的にはどこかと聞き返す。何度聞いても、返ってくる答えはおおむね二種類のどちらかに落ちた。この画面が分かりづらい。この画面から、もっと売上につなげてほしい。前者はUIの分かりやすさの話で、後者は事業の数字の話である。同じ一語が、口ごとに違うものを指していた。
語が悪いのか、使い手が悪いのか。聞き返した相手はみな真剣で、プロダクトを良くしたい気持ちに嘘はなかった。それなら疑うべきは語のほうだ。ユーザーエクスペリエンス、すなわちユーザーの体験というこの語は、いったい何を指しているのか。そもそも、指させる場所にそれはあるのか。
01体験のありか
手がかりに、デザインより古い場所から始めたい。哲学者のジョン・デューイは1934年の『経験としての芸術』で、経験(experience)は生き物と環境条件との相互作用そのものから絶えず生じている、と論じた。経験は人の内側に貯蔵されている財産でも、モノに塗られた性質でもない。生き物が環境とぶつかり、抵抗され、はたらきかけ返す。その往復の中で生じる出来事である。デューイはさらに、素材が経緯をまっとうして完結したときにだけ「一つの経験」と呼べるものが立ち上がる、と続ける。仕事が満足のいく形で仕上がるとき、問題がようやく解けるとき、ゲームが最後まで遊ばれるとき。そういう瞬間にだけ、経験は流れの中から一個のまとまりとして切り出される。
現代の国際規格も、実は同じ形をしている。ISO 9241-210はユーザーエクスペリエンスを「システム、製品またはサービスの使用、あるいは使用の予期から生じる、ユーザーの知覚と反応」と定義する。知覚と反応。どちらもユーザーの身体の側で起こる出来事であって、デザイナーの手が直接届く場所にはない。デザイナーが握っているのは相互作用の片側、プロダクトの側だけである。
急いで付け加えるが、だから「UXを良くする」という実務が無意味だ、という話に持っていきたいのではない。条件を整えれば、体験はおおむね良い方へ動く。分かりやすい画面は、分かりにくい画面より良い体験を生みやすい。「UXを良くする」は「体験が生まれやすい条件を良くする」の略記としてなら、正しく機能してきた。危ういのは、略記が文字どおりの信念に変わる瞬間、つまり体験そのものを直接作れると思い始める瞬間である。そして、まさにその変わり方をした語が、デザインの語彙にはもう一つある。
02崖と膝
知覚心理学者のJ・J・ギブソンは、afford(提供する)という動詞から、辞書にない名詞を作った。アフォーダンス(affordance)――環境が動物に差し出す行為の可能性。1966年の著書で語を造ったとされ、1979年の主著『生態学的視覚論』で理論化した。定義の冒頭はこうだ。「環境のアフォーダンスとは、環境が動物に提供するもの、良きにつけ悪しきにつけ、備え与えるもののことである」。
例を見るのが早い。崖のふちは「落ちる」をアフォードする。ただし、翼のある鳥にはしない。同じ崖のふちが、鳥にとっては風を受けて飛び立つための足場になる。水面は飲むことをアフォードするが、大きく重い動物の身体を支えることはアフォードしない。膝の高さの水平面は「座る」をアフォードする。もっとも、子どもの膝と大人の膝は高さが違うから、同じ面が子どもには座れず、大人には座れる。アフォーダンスはモノの性質でも動物の性質でもない。両者のあいだの、関係の性質である。
ギブソンは念を押している。アフォーダンスは観察者に知覚されなくても存在するし、観察者の必要が変わっても変わらずそこにある。崖は誰も見ていなくても「落ちる」をアフォードし続ける。数百万年前からヒトに落下を提供してきたが、崖がデザイン賞を受けたという記録はない。誰も仕込んでいないからだ。デザイナーが椅子を作れば「座れる」は確かに生まれる。だがそれは素材と寸法と、座る者の身体との関係として生まれるのであって、モノの表面に貼り付けられる印ではない。関係の片側を握る者に作れるのは、いつも片側までである。もう片側の身体は、使い手が持ってくる。
03誤配
この語をデザインの世界に運んだのが、認知科学者のドナルド・ノーマンだった。1988年の著書『誰のためのデザイン?』(原題 The Psychology of Everyday Things、後に The Design of Everyday Things へ改題)で、ノーマンはアフォーダンスをデザインの鍵概念として紹介する。ただし、ギブソンの原義のままではなかった。ノーマンが語っていたのは「知覚されたアフォーダンス」――使い手の目に、どんな行為が可能だと映るか、のほうである。
語は爆発的に広まり、意味は割れた。2000年の実証研究が、ヒューマン・コンピュータ・インタラクション分野の主要会議CHIの論文から、アフォーダンスを使う19本を調べている。結果は、ギブソンの定義に沿うもの8本、ノーマンの用法に沿うもの6本、どちらとも判別できないもの5本。研究の世界でこれなら、現場ではもっと素朴な用法が定着する。ボタンに影を付けて押せそうに見せること――それが「アフォーダンスを付ける」ことだと。
ノーマン本人は、この事態を早くから嘆いていた。1999年の論文にこうある。「グラフィックデザイナーが、画面のデザインにアフォーダンスを追加したと語るのをあまりにも頻繁に耳にする。彼らはそんなことは何もしていないのだが」。画面上の表示は、そこに触れられることを知らせる目印にすぎず、行為の可能性そのものを増やしはしない。ノーマンの言葉を借りれば「これは概念の誤用である」。
誤読の中身を言い直すと、こうなる。関係の性質が、モノ側に埋め込める装飾として読み替えられた。「ここにアフォーダンスを付けましょう」という文が言えてしまった時点で、ギブソンの語は片側の手の中に握り潰されている。
04届かなかった訂正
2008年、ノーマンは「Signifiers, not affordances」と題した2ページの文章を書く。趣旨は明快だ。「アフォーダンスのことは忘れよ。人々が必要とするもの、そしてデザインが提供すべきものは、シグニファイア(signifier――合図となる記号)である」。デザイナーに仕込めるのは、行為の可能性そのものではなく、可能性のありかを知らせる合図のほうだ。2013年の改訂版『誰のためのデザイン?』で、この区別は本文に組み込まれた。「アフォーダンスは、どんな行為が可能かを定める。シグニファイアは、人がその可能性をどうやって発見するかを示す」。
ここで、もう一つの符合に触れたい。ユーザーエクスペリエンスという語もまた、ノーマンの職場から出てきたとされる。本人の説明によれば、1993年にAppleへ移った際、ヒューマンインターフェースやユーザビリティという語では守備範囲が狭すぎると考え、同僚二人と相談のうえ「ユーザーエクスペリエンス・アーキテクトのオフィス」を名乗った。在籍当時の1996年に編まれた書籍にも、この部署の記録は残っている。つまり、アフォーダンスをデザインに持ち込んだ人物と、UXという語を広めた人物は、同一人物である。
そして晩年のノーマンは、二つの語について同じ嘆き方をしている。2016年のポッドキャストのインタビューで、本人はこう語っている。「アフォーダンスを発明したのは私ではない。J・J・ギブソンだ。だが私がそれをデザインに持ち込んだ――そして、まあ見事に誤用された。それからユーザーエクスペリエンスという語は、1993年にAppleに入ったときに導入した。この語もいま、見事に誤用されつつある」。さかのぼれば2007年の時点で、この語は「広まりすぎて、意味を失い始めている」とも語っていた。
付け加えれば、名付けの功名さえ本人の手の中には留まらなかった。ノーマンは2023年のエッセイで、自分が共同編集した1986年の論集にブレンダ・ローレルが寄せた章にuser experienceという表現がすでにあることに触れ、そこから来た可能性は高いと認めている。語の出自を辿っていくと、発明者の記憶さえ相互作用の中に溶けていく。
業界が受け取ったものと受け取らなかったものの非対称は、はっきりしている。1988年の誤読は40年近く生き延びた。2008年の訂正は、いまも専門メディアが繰り返し解説し直さなければならないほど、届いていない。
05片側の仕事
ではUXはどうか。アフォーダンスにかけたのと同じ検算を、体験にもかけてみればいい。体験は、デューイの言うとおり相互作用から生じる。デザイナーが握っているのはプロダクトという片側で、もう片側は使い手が持ってくる。その日の目的、機嫌、暮らし、身体。アフォーダンスを仕込めないのと同じ理由で、体験は設計できない。設計できるのは、合図と、体験が生まれやすい条件までである。
この考え自体は、研究の世界では四半世紀前から言われてきた。デザイン研究者のリズ・サンダースは1999年に「体験のためのデザイン(design for experiencing)」という言い方を掲げ、体験デザイン論のマルク・ハッセンツァールも、「体験をデザインする」と呼ばずに「体験のためにデザインする」と呼ぶ論者たちの立場に触れている。前置詞一つの違いに、握れるものと握れないものの区別が全部かかっている。
それでもわたしたちは「UXデザイナー」を名乗り、体験を設計すると職能の看板に書いてきた。わたし自身、その看板の下で働いてきた一人である。だから内側から言うのだが、体験を設計できるという言い方は、デザイナーの驕りだ。それは盗みに似た構造をしている。相互作用の産物には使い手の取り分が半分あるのに、成果を語るときだけ、それを設計の手柄に繰り入れてしまう。
冒頭の会議室に戻る。「UXを良くしたい」があれほど滑るのは、話者が不勉強だからでも、定義が未整備だからでもなかった。体験が誰の手の中にもないからだ。指させないものを指す語を、ここでは袋語と呼びたい。中身の見えない袋のように、話者それぞれの欲しいものを容れて口が閉じる語のことである。ノーマンが「意味を失い始めている」と言ったのは、袋に何でも入るようになった、ということでもある。画面の分かりにくさを直したい人も、売上を伸ばしたい人も、同じ袋に別のものを入れて差し出してくる。袋の中身を確かめる作業に、会議の時間は費やされていた。
次に「UXを良くしたいです」と言われたら、何と聞き返すか。良くしたいのはどの片側か、と袋を開けてもらうところまでが、たぶん設計者の仕事である。合図を磨き、条件を整え、そして祈るように手を離す。デューイの言う「一つの経験」が立ち上がるのは、いつも手が離れたあと、使い手の側でのことだ。体験はわたしたちの手の中にない。それでも、体験が生まれる場所のいちばん近くまでは、手を伸ばしていたい。
出典
一次資料
- James J. Gibson, The Ecological Approach to Visual Perception (Houghton Mifflin, 1979), Chapter 8 "The Theory of Affordances"――アフォーダンスの定義("The affordances of the environment are what it offers the animal, what it provides or furnishes, either for good or ill.")、崖・水・膝高の例、「知覚されなくても存在する」("The affordance of something does not change as the need of the observer changes.")の根拠。訳は筆者。全文: https://cs.brown.edu/courses/cs137/2017/readings/Gibson-AFF.pdf 邦訳『生態学的視覚論――ヒトの知覚世界を探る』古崎敬ほか共訳(サイエンス社、1985)。
- James J. Gibson, The Senses Considered as Perceptual Systems (Houghton Mifflin, 1966)――affordanceという語の初出とされる著書。
- Donald A. Norman, The Psychology of Everyday Things (Basic Books, 1988)――アフォーダンス概念のデザイン分野への導入。邦訳『誰のためのデザイン?――認知科学者のデザイン原論』野島久雄訳(新曜社、1990)。
- Donald A. Norman, "Affordance, Conventions, and Design," interactions 6(3), 1999, 38–43――「彼らはそんなことは何もしていない」「これは概念の誤用である」("This is a misuse of the concept.")の根拠。訳は筆者。著者版全文: https://jnd.org/affordance-conventions-and-design-part-2/
- Donald A. Norman, "The Way I See It: Signifiers, not affordances," interactions 15(6), 2008, 18–19――「アフォーダンスのことは忘れよ」("Forget affordances: what people need, and what design must provide, are signifiers.")の根拠。訳は筆者。著者版全文: https://jnd.org/signifiers-not-affordances/
- Donald A. Norman, The Design of Everyday Things: Revised and Expanded Edition (Basic Books, 2013)――アフォーダンスとシグニファイアの定義("Affordances define what actions are possible. Signifiers specify how people discover those possibilities."、著者サイト掲載の序文より)。訳は筆者。邦訳『誰のためのデザイン? 増補・改訂版』岡本明・安村通晃・伊賀聡一郎・野島久雄訳(新曜社、2015)。
- John Dewey, Art as Experience (Minton, Balch & Company, 1934), Chapter 3 "Having an Experience"――経験が生き物と環境条件の相互作用から生じるという議論、「一つの経験」の議論の根拠。本文は趣旨の要約であり、訳文の直接引用ではない。邦訳『経験としての芸術』栗田修訳(晃洋書房、2010)ほか。
- ISO 9241-210:2019, 3.15 "user experience"――UX定義("user's perceptions and responses that result from the use and/or anticipated use of a system, product or service")の根拠。訳は筆者。
- "Design Doing with Don Norman," UX Podcast #125(James Royal-Lawson & Per Axbom、2016年4月収録)――「見事に誤用された」発言の根拠。訳は筆者。トランスクリプト: https://medium.com/@uxpodcast/design-doing-with-don-norman-6434b022831b
- Donald A. Norman, "Where did the term User Experience (UX) come from?" jnd.org(2023)――1993年Appleでの命名の経緯(本人談)と、ブレンダ・ローレル由来の可能性への本人の言及。https://jnd.org/where-did-the-term-user-experience-ux-come-from/
補足資料
- Joanna McGrenere & Wayne Ho, "Affordances: Clarifying and Evolving a Concept," Proceedings of Graphics Interface 2000, 179–186――CHI論文19本の用法分類(ギブソン準拠8本・ノーマン準拠6本・判別不能5本)の根拠。全文: https://graphicsinterface.org/wp-content/uploads/gi2000-24.pdf
- Terry Winograd (ed.), Bringing Design to Software (Addison-Wesley, 1996) 所収のノーマンの章と編者解説――Apple在籍当時に「User Experience Architect's Office」が存在したことの同時代の記録。https://hci.stanford.edu/publications/bds/12-norman.html
- Peter Merholz, "Peter in Conversation with Don Norman About UX & Innovation" (Adaptive Path, 2007)――「ヒューマンインターフェースやユーザビリティでは狭すぎた」「広まりすぎて、意味を失い始めている」("so much so that it is starting to lose its meaning")という本人発言の根拠(本人談)。
- Elizabeth B.-N. Sanders & Uday Dandavate, "Design for Experiencing: New Tools," Proceedings of the 1st International Conference on Design & Emotion (Delft, 1999)――「design for experiencing」の先駆的提案。
- Marc Hassenzahl, Kai Eckoldt, Sarah Diefenbach, Matthias Laschke, Eva Lenz & Joonhwan Kim, "Designing Moments of Meaning and Pleasure: Experience Design and Happiness," International Journal of Design 7(3), 2013, 21–31――「体験をデザインする」より「体験のためにデザインする」と呼ぶ立場への言及の根拠。全文: https://www.ijdesign.org/index.php/IJDesign/article/view/1480/589
- Hoa Loranger, "Beyond Blue Links: Making Clickable Elements Recognizable" (Nielsen Norman Group, 2015)――アフォーダンス/シグニファイアの区別が現在も実務向けに解説され続けていることの例。https://www.nngroup.com/articles/clickable-elements/